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没入と想像の間で

感想・考察『グレイテスト・ショーマン』娯楽と物語の両立

日本では2018年2月16日(金)に公開された映画グレイテスト・ショーマンが中々に素晴らしかったので、感想やら考察やらを書き留めておきます (これを考察といって良いのかどうかは別として) 。長文&ネタバレ注意。

映画『グレイテスト・ショーマン』オフィシャルサイト

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目次

 

人を幸せにする娯楽

The noblest art is that of making others happy.

「最も崇高な芸術は、人を幸せにすることだ」2度の鑑賞で、P. T. バーナムの残したこの言葉こそ本作の最大のテーマだと気付きました。そしてこれがダブルミーニングになっていると。

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レ・ミゼラブル』で素晴らしい歌声を知らしめたヒュー・ジャックマンをはじめとするキャストと、『ラ・ラ・ランド』で世界を魅了する楽曲を手掛けたベンジ・パセックとジャスティン・ポール。公開前のプロモーションや、賛否両論の感想、そして私の初見での印象、その全てに共通するのは彼らの楽曲の素晴らしさでした。

観るもの全てを幸せな気分にするエンターテインメント作品。そのために、幻想的な映像表現と一糸乱れぬ力強いパフォーマンスに彩られた優れた楽曲の数々が、僅か105分間にこれでもかと詰め込まれていました。ミュージカルが苦手でも、ライブやコンサートを観に行くような感覚で楽しめる。しかも、そこには映画ならではの楽しみ方がある。そんな第一印象でした。

 

人を幸せにする物語

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本作のもう一つの側面は、人を幸せにする物語であるということ。

バーナムは未熟ながらも彼なりに一貫して家族の幸せを追い求め、最終的には家族だけでなくサーカスの出演者たちや多くの観客に幸せをもたらすことになりました。

その過程が賛否の分かれ目なのだと思いますが、肯定派の一個人の感想として。初見では正直ストーリーはそんなでもないなと思いましたが、2度目で色々と気付くところがあり評価が180°変わりました。

 

幸せとは何か

人を幸せにするにあたり重要なのは、「幸せとは何か」ということ。その考え方は一人ひとり違うものであり、だからこそバーナムは失敗を経験するのですが、そこには作品全体を通して共通する部分もあると感じました。それは「平等」「平和」「調和」であり、同時にそれによって初めて達成される「誰もが  “自分らしく” 生きること」なのです。

また前提として、ヒュー演じるバーナムも劇中の時代も、史実とは異なっていることを挙げておきます。実際のバーナムや当時の社会についてはWikipediaくらいでしか知りませんが、この作品が実在の人物をモデルにしたフィクションであることは明らかだと感じました。

さて、劇中のバーナムが生きた時代には、大きく分けて3つのコミュニティが存在します。経済的に豊かな上流階級、貧しい一般大衆、そして多くの人とは異なるマイノリティ。

金を持つだけの上流階級は大衆とマイノリティを見下し、大衆は自分と違うだけでマイノリティを蔑む。そんな差別と偏見に満ちた上下関係が除かれ、誰もが平等に自分らしく生きられる世界にこそ、幸せがあるのです。

つまり、マイノリティに対する差別だけが問題なのではないということで、そこに対する期待が大きかった人にはどうしても物足りなく感じてしまったのではないかと思いました。

続いては、それぞれのキャラクターの役割について考えてみたいと思います。

 

バーナムとチャリティ

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貧しい家庭で生まれ育ったバーナムは、裕福な家庭で暮らすチャリティと恋に落ちます。2人で一緒に生きる夢 “A Million Dreams” を描きながらも、チャリティは遠くの学校へ行くことに。離れ離れになりながらもお互いを想い続け、ついに駆け落ちを決めます。

そのときのチャリティ父の「貧しい暮らしに嫌気がさして必ず娘は戻ってくる」という言葉。上流階級による貧しいバーナムへの差別意識は、コンプレックスとなって彼の中に残り続けます。

家族に豊かな生活をさせるため、成功を追い求めるバーナム。そのきっかけとなったサーカスのアイデアも、自分一人のものではなく、家族に支えられヒントを得たものだったことは、家族の大切さを示しているのでしょう。

サーカスショーの成功でかつて夢見た豪邸に住み、上流階級の仲間入りかと思いきや、彼らの偏見はバーナム一家社交界入りを歓迎しません。彼らに認められ、自分が受けたコンプレックスを娘たちが感じないように、オペラ公演を行います。

チャリティにとって、馬車に乗ってオペラツアーに出掛けるバーナムの姿はかつて離れ離れになった過去を思い起こさせ、新聞の一面で報じられたスキャンダルは彼女に追い打ちをかけました。例えどんなに貧しくても、周りからどう思われても、2人で、家族で生きていきたい。“From Now On” で初めから描いていた夢にようやく気付いたバーナムは、ショーの第一線を退き、家族と共にいるという幸せを手にしました。

 

サーカスの出演者たち

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バーナムは、貧しい幼少期に自身が受けた差別と、身体的マイノリティの内に秘めた優しさに触れた経験から、彼らに対する嫌悪感や偏見はありませんでした。その一方で彼はいわゆるマジョリティはそうではないということを認識しており、その意識を客寄せに利用しようとしました。ただし史実で言われるような「見世物」としての娯楽ではなく、本物の感動を観客に与えようとしたのです。

その真っ直ぐな思いと眼差しは、マイノリティたちにショーへの出演を決意させました。初めてのショー “Come Alive” での素晴らしいパフォーマンスで、大人の背後に隠された純粋な子供は自ら顔を出し、大人たちもその多くは本物の感動を得ることになりました。これは、彼らがサーカスに送った喝采と、上流階級がオペラ公演で送った「本物の」喝采が同じように表現されていることからもわかります。

しかしながら、バーナムはオペラ公演では目立たぬようにと彼らを立ち見席に追いやり、公演後のパーティーでは会場への扉を固く閉ざします。

こうして力強く歌われる主題歌 "This Is Me" は、サーカスの出演者からバーナムへ向けた歌ではありません。差別と偏見に苦しむ全ての人から全社会に向けての歌なのです。

上流階級に根強く残る嫌悪や偏見のために、未熟なバーナムは扉を閉じることしかできなかった。サーカスの出演者たちは、そうせざるをえない社会への思いを歌ったのではないでしょうか。だからこそ、同じ境遇を経験した「家族」と出会い、多くの大衆に認められ、身を潜めるのではなく自ら立ち上がる力を手に入れる、その全てのきっかけをくれたバーナムが全てを失ったときに、そっと側に寄り添い勇気付けることができる、強い心を持った存在なのではないでしょうか。

歴史の中で、マイノリティが虐げられる存在から手を差し伸べられる存在に、そして本作でマジョリティと同じように自ら立ち上がる存在として描かれていることには大きな意義があると感じました。

 

フィリップと批評家

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劇中におけるフィリップの存在も、単なるバーナムの上流階級への足掛かりとしてだけではなく、非常に重要なものです。彼の重要性は、劇中の批評家と対比することでみえてくると思います。

2人はどちらも上流階級の中で生きているため、時に自分の意思を押し殺して彼らに合わせなければ職を失ってしまうという立場にあります。実際、批評家は新聞記事やオペラ公演後のパーティーなど公の場ではバーナムに批判的でしたが、火災後は彼に対して再建を望みサーカスを「人類の祝祭」と称するなど、心の奥ではバーナムを評価する様子がみられました。

フィリップも当初バーナムと手を組むことで今まで築いたものを失うことになると消極的でしたが、 “To the Other Side” を通じてバーナムの堅苦しい世界に縛られない自由な生き方に憧れにも似た感情を抱き、彼のパートナーとなります (そしてそのバーナムが後に社交界に縛られるという皮肉…) 。

そしてサーカスのアンに一目惚れすることになりますが、上流階級からの冷たい視線を気にしてしまったことで彼女に遠ざけられてしまいます。その後 “Rewrite the Stars” でお互いの想いを確かめながらも、身分の差は乗り越えられないとやはり離れていくアン。社交界のしがらみを抜けたフィリップは火災では身を呈して彼女を救おうとし、彼を失いかけることでアンもその大切さに気付き、二人は結ばれます。

批評家と異なり、フィリップはかつて身を置いた上流階級に決別することで、本当の幸せを手にすることができました。また彼とアンとの身分を越えた関係性は、劇中ではあまり深く触れられなかったバーナムとチャリティが結ばれる過程を思わせますし、だからこそフィリップがバーナムの後を継ぐにふさわしいのだと思います。

これはあくまで印象なんですが、ヒュー・ジャックマンとバトンタッチしたザック・エフロンのパフォーマンスはなんなら本作一番の見せ場くらいの勢いだと思うんですが、体格のせいか衣装のせいか演出のせいかわかりませんが、恐ろしいほど力不足な感が否めませんでした。それ以外のシーンのザックはめちゃめちゃ良いしすごく好きなのに…

 

バーナムとリンド

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バーナムとリンドは自らの手で上流階級にのし上がったという点で非常に似た境遇にあり、リンドは未来のバーナムを表す存在だったのではないでしょうか。

“Never Enough” や彼女の台詞にもあるように、「どんなに名声を手に入れても満たされない」という思いはオペラ公演に取り組むバーナムと同じものでした。そしてリンドは全てを手に入れようと妻子を持つバーナムにまで言い寄りますが、結局家族の幸せを願い続ける彼を振り向かせることはできませんでした。

もしバーナムがチャリティの望みに最後まで気付くことができなかったとしたら?追い詰められた彼は上流階級から認められるために、手段を選ばずオペラ公演を成功させようとします。そしてそのせいで、本当に大切な夢であり幸せである家族を失うことになります。リンドの存在はそんなもう一人のバーナムを暗示しているように感じました。

ただこのリンドというキャラクター、劇中で幸せになる様子が描かれていないところが残念だったと個人的には思います。この時代にここまで共通点がある人間はそういないだろうから強い共感もあっただろうし、目の前で妻子と喧嘩別れみたいなものを見せられたら… そう考えるとなかなか可哀想な立場だなと。

 

人を幸せにする作品

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ということで、物語部分に関しては惜しいところもないわけではないのですが、全然浅くないよ!と言いたいわけです。楽曲の素晴らしさが光るだけに何も考えずに観てもめちゃめちゃ楽しめるわけですが、色々と思いを巡らせて2回目を観ると新しい発見があちこちにあったりします。

そして何より、たった105分の間にこれだけのエンターテインメントとドラマを凄まじい密度で両立させていることについては、本当に素晴らしいと思います。物足りないと感じた部分をしっかり掘り下げようとすればこの尺には全然収まらないわけで、そうなるとあらゆる人々に向けた娯楽性は失われてしまいます。そういう意味では並外れたバランス感覚で成立している作品ではないでしょうか。

 

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